モノコトヒトそしてルビー
モノコトヒトへ
ルビーアニバーサリーワタシ
” モノからヒトへ ” 価値の転換はより目に見える形で少しずつ、表面的にもその変化してきています。
もう随分長いこと「モノ」中心の時代が続いてきた。
何がほんとうに良いモノか、必要なモノか、大事なモノか…。ゆっくり考える余裕もなく、攻め立てられるように、
理想的な美しいモノ・理想的な完璧なモノ・理想的な巧妙なモノ・理想的にデザインされたモノ・よりクオリティの高いモノ・珍しいモノ……
挙げだしたらキリがないほどに次々と生み出され、生産され、道半ばに入れ替わり、色付けし、新しい姿となって再度生まれて繰り返されて。
何度も理想とは違う“理想的”なものに振り回されてきたのだ。
もういい加減 ”理想的な モノ ” 中心の文化に疲れ始めた人々は、少しづつ ” コト” への憧れを募らせていった。
たくさんの理想的なものから自分にとって最高なものをつかみ取れたということに憧れて理想なモノをつかむ難しさを感じたからこそのそれを成し遂げた人に憧れる。
” コト ”が注目されていく中で、わかりやすいのが土台になっている行動そのもの、「ライフスタイル」=「暮らし方」なのかもしれない。
こんな憧れな”コト”をしているヒト。こんな素敵な” 暮らし”をしているヒト。こんな幸せそうに” 生きている ”ヒト。
いまからさらに注目されるのは、そんな” 行動や暮らし、生き方 ”をしているヒト たちなんだと思う。
我ながら随分性急なことを…と思いながら、時代は「モノからコトへ、コトからヒトへ。」少しづつ需要のかたちが舵を切り始めているともいえるかもしれない。
これは大発見でも先取りでもなくて。もうずっと前からあること。
時代によってピントの焦点だけはクルクル変わっているけれど、実際には切り取り方の問題というだけで、モノコトヒトはどこまでも切り離せない関係性で成り立っている。
こよいもルビーだけはそんなこととは全くの無縁で。
ルビーはモノコトヒトを通り越してしまうこともある。私は人だから